公衆電話の日(9月11日)

1900年9月11日 街頭に置かれる日本初の公衆電話が東京の新橋と上野駅構内に設置されたそうです。

東京オリンピック(前回の)は知りませんが、大阪万博は知っている、私のような世代においては、

今のように便利なケータイのなかった時代の公衆電話にかかわる思い出は、おかしく笑えるくらい懐かしい。

当時、近くの駄菓子屋の店先に赤い公衆電話があったのですが、子供のころは使うことはありませんでした。

掛けるとすれば、家の母親へか、友達の家くらい。まだ小さなコミュニティ、相手も少なかった。

そもそもその範囲なら、直接行くか、駄菓子屋のおばちゃんが伝言してくれていた。ローテクだが、

こちらの事情や表情を汲み取って、うま~く言ってくれるのでいろいろ(?)重宝したものでした。

中学生くらいになると、家の電話を使えない深~い事情も出てきて、あの公衆電話は使いたいが

さすがに使えませんでした。昼間なら、近所の子供や、鼻たれ、たれ込み名人の弟もくる。

店の奥には、表情を読むことのできる、強者もいる。さらに夕方6時になったら店が閉まり、

公衆電話は片付けられ、結局、自転車で行かないといけない、村はずれの公衆電話まで行くのでした。

ガラスに囲まれたボックス内は雑音も少なく、適度の囲まれ間は落ち着いて話が弾みました。

ですが、特に夏の西日の暑さと蚊がまとわりつくあの不快感は忘れられません。時々、どうも同様な

事情なのでしょうか、通学自転車を降りた学生が、やや遠巻きにしてこっちを見て、電話が終わるのを

待っていることもありました。あの村はずれの公衆電話の受話器にはいろんな汗が染みていたと思います。

「3分10円」と時間の価値を学んだのも公衆電話でした。けれど深い事情の話は見通しが立たないので

とりあえず、目いっぱいの10円を持って出ました。両替は近所の駄菓子屋で・・・

10円でつなぎ続けるか、100円投入でじっくりいくか、勝手な葛藤をしつつ、

100円ですぐ終話したことも。結局、苦い思い出には“損”も多かったかもしれません。青春でした。

さて、当院の公衆電話、このケータイ100%の時代にあっても廃止しておりません。

かつては玄関脇にありましたが、3階談話室前に移動しました。もはやお使いになる方は少ないだろうと

推測しますが、今度は災害に強いツールとして活用しようと移設しました。

時代は変わっても大事な人と人とをつなげる電話、もしもの時の生の声は、安堵と安心感があります。

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