このあいだの休日に、ひさしぶりに両親に会った。
この日は澄み切った快晴だったが風が吹くとやや寒い位だった。
実家はあの銀杏の里にほど近い近郊だが、両親はその家の近くの畑に、いた。
コロナ禍もあり、感染者が再び激増、とりわけ高齢者が増えていると聞いていたため、躊躇もあったが、
この分だと来年の正月も会えないとしたら、1年以上開くことになりかねず、孫の顔だけでも見せるだけのつもりで行った。
都合良く、というか、昼下がりはたいてい畑で作業でもしているだろうと見当をつけていたので、勘どころが良かった。
実家の中に上がることもなく、上がれば茶菓子ふるまわれ、話も無駄に長くなったりと、およそ感染のリスクが増すからだ。
丁度いいシチエーションで、お互いが顔を見ることができ、畑の脇の小屋の前で話した。
マスクをつけていなかった父親に対して、すかさず孫の息子が「おじいちゃん、マスクをつけてください」と言うと、
苦笑しながら「わしは、畑では、しんのや」と返してきた。
ご無沙汰している上、突然立ち寄ったとする負い目もあって、私たちはそこを責めることは出来なかったが、
孫は遠慮がなかった。
今日まで、なかなか来れなかった理由を、私たちがうつされることよりも、うつすかもしれないリスクがあることの意味を、
孫の忠告から察してくれたならいいが、ただ、うるさい子と捉えられたなら不本意だが、あれこれ理屈いう暇はなかった。
母親に至っては「ちょっと、待ちーや」と言い、畑の端の方に向かった。早々に、おいとまするつもりだったので、
やきもきしていると、わらのひもで結わえた大きな白菜を曲がった腰をさらに曲げて抱えて来た。
おもむろに外の葉をはがしながら、野菜嫌いな孫息子に「食べるやろ?」と気を遣った口調で聞くと、
「白菜は食べれるよ」と返されて、うれしそうな顔をすると、どこから出てきたのか、レジ袋に入れ、渡された。
さっと引き上げたら、すぐに袋が裂けてしまったが、土だけ落ちないように抱えてすぐさま車のトランクに積んだ。
風もやや強くなり寒く感じた私は、「じゃあ」と短く挨拶すると、
引き留めることもなく、「気をつけてな、正月は来るやろ?」と。対し「わからん」と答えた。
車の窓からは「また、来るね~」と息子は大きな声で手を振っていたが、
なんだか虚しさや不安感がかえって募ってしまった。
私たちも長らく会えておらず、両親が変わらず元気であること確認できたのはよかったが、
明らかに以前とは違う接し方を余儀なくされ、変わってしまった現実がやっぱり受け止めきれない。
遠くに黄金色のいちょう並木を望むこの景色は今年も変わらないというのに。